日本の経営者だと松下幸之助や本田宗一郎、京セラの稲盛和夫などが有名だが、カーネル・サンダースがどのような人だったのかはこちらを読んでとんでもない波乱万丈な人生だったと知った
〇【KFC】無一文からの逆転劇。カーネル・サンダースを成功に導いた秘訣とは?
〇【KFC】現代を生き抜くヒントになる! カーネル・サンダースが遺した言葉

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・10歳で働き始めるも1か月でクビ
・11歳の時には朝4時から夜10時すぎまで働く
「仕事で大切なのは、ベストを尽くすこと」
「できることは全てやる。やるなら最善を尽くす」
・31歳でガスライトの会社を立ち上げるも電気が普及し失敗
・ミシュラン・タイヤの営業マンに転身し全米売り上げトップに
・36歳の時に事故で大けが、ミシュラン退社
・37歳 ヒッチハイクで意気投合した人とガソリンスタンド経営、朝5時から深夜2時まで働くが世界恐慌で破綻
・40歳の頃再びサービス・ステーション経営を開始しレストランを併設、フライドチキンを提供
・順風満帆、47歳でモーテルを開業するも火事で全焼
・65歳、レストランは繁盛していたが新しい道路ができて客足が遠のきやむなく売却、ほぼ無一文に
・その後各地のレストランにフライドチキンの調理法を教え、対価としてチキン1羽につき5セントの売り上げを受け取る新しいビジネスモデル(フランチャイズ)を開始
カーネルは、自分に唯一残されたのは、フライドチキンのレシピだということに気づきます。クルマにスパイスと圧力鍋を積みこんだカーネルは、クルマで寝泊まりしながら全米のレストランにケンタッキーフライドチキンを売り込みました。
一軒一軒レストランを訪れて「フライドチキンのレシピ」を売り込んだそうです。そこで断られた回数はなんと1,009回。それでも迎え入れてくれた店には、丁寧に2日間もかけてレシピを伝授しました。
なんというか猛烈なハードワーカーなのもそうだが鋼のメンタルと行動力お化けだ
65歳というのはもう死んでいても不思議ではない、普通に引退・リタイアする年齢だがその年齢かつ無一文から1000回以上営業して断られても諦めずに売り込み事業を成功させるというのは尋常ではない
よほど今までの経験と工夫に工夫を凝らした味に自信があったに違いない。
「65歳になった人なら誰にでも、積み上げてきた経験というものがあります。山もあれば谷もあり、人生には試練もあれば辛酸をなめることも一度や二度ではないでしょう。
その経験から活かせるものがないはずはありません。65歳までにあなたが手に入れてきたことを結集させれば、きっと新しいスタートが切れますよ」
