これまた昔の曲だが最近聴く機会があり、色々と思い出す。
〇【1982年6月】赤道小町ドキッ/“総立ちの久美子”も驚きギリギリで完成したヒット曲
カネボウ側の意向で「赤道小町」という4文字のテーマが初めから決まっており、そのイメージに合わせて誰に歌ってもらうかを選考。一般的に知名度が高い歌手にという声がカネボウ側にはあったようだが、広告代理店側が学生を中心に人気があった山下を推薦。年明けにオファーが届いた。
詞は売れっ子の松本隆、曲はイエロー・マジック・オーケストラの細野晴男臣が担当。レコーディング、リリース、CMオンエアのスケジュールを考えると、かなり厳しい日程だった。細野が曲を部分的に作っては、松本に届け、それに歌詞を付けていくという作業を繰り返し、丸3日をかけてほぼ徹夜で完成。レコーディング当日も細部を詰めて、現場で直すという綱渡りのような芸当で、指定の期日の発売にこぎつけた。
成績優秀の女子高生が「刺激がない」と大分の高校を中退して博多へ。ウエイトレスのバイトで生活していたが、1年半後にソウルバンドのボーカルに。渡辺プロから声がかかったのが19歳。上京し、1年のレッスンを積んで80年に「バスルームから愛をこめて」でデビュー。東京・新宿のライブハウス「ルイード」を拠点にステージを重ねた。
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